KIKURIについて

各地さまざま場所でのライブ企画・制作・運営  etc・・・

 

2009年より、滋賀県彦根市を中心に活動

2017年12月、住み慣れた「彦根」から、生まれ故郷「愛媛県松山市」へ

充電期間を経て、2018年10月から再始動します

 


ダンスホール紅花にて photo by Junko Kanazawa
ダンスホール紅花にて photo by Junko Kanazawa

 即興のこころで 野本由香さん

(DADA Journal : ひと  2017年10月24日より転載)

 

野本由香さんが彦根にやってきたのは、今からちょうど20年前、1997年5月だった。生まれ故郷である愛媛県松山を出て住んだことはなかったという野本さんは、結婚と同時に、それまで縁もゆかりもなかった滋賀県へ移り住んだ。

 新しい住処を決めるために訪れた滋賀。夫の職場への通勤を思えば、大垣や長浜あたりも候補地になっていたという。けれども何ヶ所か見ていくうちに、彦根だ、と思ったと野本さんは振り返る。その理由を訊ねられると、すこし考えて、「城下町であること、文化的な雰囲気があると感じたことでしょうか…」とことばにしてくれた。生まれて初めて離れる松山の城下町が、当時の野本さんの頭をどこかよぎっていたのかもしれない。

 

 野本さんが誰なのか、という説明はすこし難しい。自彊術という健康体操の講師として教室をもっているほか、彦根を映画で盛り上げる会のメンバーとして映画ロケスタッフへの炊き出しや差し入れに張り切り、町家を活用したゲストハウス「本町宿」で宿泊者への朝食づくりに加わり、今年からは「学童の先生」として放課後の小学校にも通うなど、さまざまな活動に参加している。「やりたがりなんですよ、料理も大好きだし」という野本さんだが、そうした活動に加わるようになった最初のきっかけは、音楽のライブイベントの企画だった。ライブ企画をはじめたことで人のつながりが広がり、現在の多岐にわたる活動への参加に結びついているのだという。

 

 野本さんが初めて彦根でライブを企画したのは2009年、「井伊直弼と開国150年祭」の市民創造事業の助成を受けて開催した「開国ライブ」。以来、即興を中心とした、言わばアンダーグラウンドな音楽を、10年近く企画し続けてきた。彦根にはライブハウスなど音楽イベント専用の場所が乏しく、必然的に、どの企画も場所探しとともに始まった。「でも、おもしろい場所を見つけて、その場所に合う内容を組み立てるのが楽しい」という野本さんが特別思い入れを持っているのが、和風礼拝堂スミス記念堂だ。ここで海外でも評価の高いギタリスト河端一のシリーズ企画を開き、伝説ともいえるようなライブを、主催者という立場で目の当たりにした。その経験が、野本さんをライブ企画へとつよく駆り立てるようになった。

 

 昨年からは、かつての花街・袋町のなかの空き店舗を借り、イベントホール「ダンスホール紅花」の運営に携わっている。「もうそろそろ最後というこのタイミングで、自分が本当にほしかった場所をつくることができた。しかも、奇跡みたいに人のご縁で転がり込んできたもので、今でもなんだか実感がないくらい」という。紅花の立ち上げと前後する頃だったと思うが、野本さんから「夫の退職を機に、松山へ帰る」と聞かされた。紅花の運営は、この夏から若手スタッフが引き継いでいる。

 音楽を愛しながらもジャンルにこだわりはないという野本さんは、意外にも家ではあまり音楽を聴かないという。一期一会の即興音楽に惹かれるように、ライブの生演奏を聴くのが好きなのだ。

 

 「紅花を得たあたりで、わたしが彦根でやってきたことがひとつ結実したと思っているけれど、あとを運営する人たちが、必死に守る必要はないと思う。紅花の場所でいくつものお店が生まれて消えたように、あの場所の長い歴史の一端に、わたしたちの秘密基地があった…そう思うと面白いよね」と笑う野本さんの話を聞きながら、場所と音楽とその場につどう人たちとの、その時限りの輝きを大切にしてきた野本さんの企画の風景を思い出していた。野本さんに励まされて、音楽イベントを企画するようになった人たちのことも。野本さんが彦根に残してくれたものは、紅花という場所だけではなく、その「即興のこころ」なんだと思った。